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広島原爆ドーム と 平和記念資料館を訪れて

 

私は、先日広島国際会議場でとある団体のイベントに参加するため

広島にいました。

広島駅から原爆ドーム前まで市電で行きました。

電停を降りるとすぐに、原爆ドームがありました。

原爆ドームの周りに、小学生の修学旅行と思われる団体に

外国人もたくさん見学に来ていました。

私たちは、絶対に戦争をしない国として誓ったはずなのに・・・・・

子供たちには、戦争の恐ろしさを教えているのに・・・・

自衛隊を戦地に送り込む法案を強引に押し通した。

我が国は、本当にこんなんでいいのだろうか?

もっともな言い分は並べているが・・・・日本は戦争しないと決めたなら

他国と一緒に行動するとが正義とするには、あまりにも戦後70年の先人の努力を

軽く見すぎている気がするのは私だけだろうか?

私も、広島には滅多に行かないけれど、行くたびに原爆ドームを見に行きます。

やはり、そこには私たちが知らない・・・

そして忘れてはいけないものが残されている場所だと思います。

 

だから、70年たった今でも、あれだけの人たちが集まる場所になっているのだと思う。

政府は、広島や長崎で決議してみろ!!! どこに安全な戦地があるというんだ。

我々は、絶対に武器を手にしない、もし何かあっても自害してでも戦争はしない

それが、日本人の誇りだと私は信じている。

焼けた、子供たちの写真を見てほしい。

年寄りが、どんな思いで平和公園で毎日手を合わせているのか・・・

アメリカが正義ではない。正義は戦争をしない我々のはずだ。

 

私は、北九州の小倉出身で

もし、あの日 昭和20年8月9日 天気が良ければ、原爆を落とされていたのは長崎でなく

北九州の小倉だったのだ。

だから、子供のころから戦争については、学校の先生たちも力を入れて

教えていた。

私は、子供たちにも戦争のことを教えるために長崎の平和記念資料館を見せに行った。

9歳の子供でも、戦争がどんなにバカバカしく起こしてはいけないことを知っている。

もっと、大人の私たちが声を出すときが来ているのではないだろうか?

一人一人の力を、民主的解決方法で変えていかなくてはいけないと

小さな記事をひとつあげたみました。

私たちの子供・・・孫・・・子孫のためにも、それぞれが考えるときだと私は思う。

 


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